日本を代表サッカー選手、三苫薫選手の実家や出身地がどこなのか気になります。
調査の結果、三苫薫選手の出身地は大分県の日田市で実家は神奈川県川崎市宮前区鷺沼であることが分かりました。
出身地(出生地)大分県の日田市は、3歳年上の兄で俳優の結木滉星さんにとって愛着のある街で、現在も祖父母は在住です。
そして鷺沼の実家マンションのお隣さんは俳優の松重豊さん(!)でした。
松重豊さんが語る、三苫薫選手の人柄が伺えるエピソードも併せてご紹介します。
それでは早速見てみましょう!
Contents
三苫薫は日田出身で兄・結城昴生の愛着の街!
三苫薫選手の出身地は大分県日田市で、3歳年上の兄で俳優の結木滉星さんにとって取り分け思い入れが深い思い出の土地です。
大分県日田市の場所
九州地方にある大分県日田市の場所はこちらです。
福岡県・熊本県との県境にある大分県の西部の街です。
三苫薫の兄は俳優の結木滉星
まずもって三苫薫選手の兄が俳優の結木滉星さんだと知っている人も少ないかもしれません。
三苫薫選手と結木滉星さんが兄弟であると明かしたのは、2023年4月に放送された「ネプリーグ」です。
三笘の兄と公表した結木滉星 pic.twitter.com/RQUfsUeoun
— リオノス🇫🇷♨️ (@riona_381) April 10, 2023
兄弟であることを早々に公表しなかった理由は、
「結木が弟に配慮したためです。彼は“宝物は家族”と言うほどですからね」(結木滉星さんの映画関係者談)(引用:デイリー新潮)
弟である三苫薫選手に配慮していたためです。
三苫薫と兄・結木滉星は幼少期を日田で過ごした
三苫薫選手と兄の結木滉星さんは大分県日田市で生まれ、幼少期までを過ごしました。(何歳までかは不明)
- 三苫薫選手は1997年5月20日生まれ
- 兄の結木滉星さんは1994年12月10日生まれ
の3歳差の兄弟です。(参照:PRtimes、スターダストプロモーション)
兄・結木滉星のカレンダーロケ地が日田
兄で俳優の結木滉星さんのカレンダー“2022.4-2023.3”のロケ地が日田でした。
結木たっての希望で、出生地であり幼少期を過ごした思い出の地・大分県日田市で全ての撮影が行われた本作。(引用:モデルプレス)
進撃の巨人の作者も日田市出身
進撃の巨人の作者・諫山創さんも同じ大分県日田市の出身です。
日田市の特徴
日田市は三隈川という屋形船が渡る雄大な川が流れ、
風情ある歴史的建物や古い町並みが残る豆田町があります。
江戸時代は江戸幕府直下の天領として九州経済の要所として栄えた城下町です。
ユネスコ世界遺産に登録された「日田祇園」のお祭りは現代も続いています。
電線を優に超える高さの山鉾が町内を巡業します。
三苫薫の祖父母は日田市在住
三苫薫選手(と兄の結木滉星さん)の祖父母は、現在も日田市在住のようです。
2018年10月26日「大分合同新聞」に結木滉星さんの特集記事がありました。
兄の結木滉星さんは、
「祖父母に冷凍の商品を送ってもらうほど大好きなのが想夫恋の日田やきそば。最後の晩餐で食べるならこれと決めている」
そうです。
先にご紹介したカレンダーにも大盛りの日田やきそばを嬉しそうに頬張っている写真がありましたね。
きっと三苫薫選手も食べたことのある故郷の味かもしれませんね!
三苫薫の実家は神奈川県川崎市宮前区鷺沼1~4丁目!
三苫薫選手の実家は神奈川県川崎市宮前区鷺沼1丁目~4丁目の町内でした。
三苫薫は川崎市立鷺沼小学校に通っていた
三苫薫選手は川崎市立鷺沼小学校に通っていました。
鷺沼はサッカーが盛んな地域です。
三苫薫選手は3歳年上の兄の影響でサッカーを始めましたが、小学校の頃にはプロサッカー選手を目指し始めました。(参照:川崎フロンターレ)
当時の写真はこちらです。
さぎぬまサッカークラブに所属し、当時から田中碧選手と一緒に切磋琢磨していました。
学区は鷺沼1~4丁目or有馬1丁目
川崎市立鷺沼小学校の通学区域は鷺沼1~4丁目、もしくは有馬1丁目です。
ということは、当時の三苫薫選手の実家はこのエリアだったということですね!
東急田園都市線沿いにあって、学校の近くには遊具もある大きな鷺沼公園があり、子供にとっても環境が良さそうな町です。
大きな道路を渡った先には「たまプラーザ」もあり家族が生活するにはきっと便利でしょう。
実家マンションのお隣さんは俳優・松重豊
三苫薫選手の当時の実家マンションのお隣さんは、俳優の松重豊さんでした。
2022年11月5日、松重豊さんがサッカーワールドカップに挑む三苫薫選手に向けてエールを送り、当時のエピソードも明かしていました。
◢◤🏆#ワールドカップ まで5日🏆◢◤
俳優・松重豊さんからメッセージが届きました📣
松重さんは、子供の頃の三笘薫選手 @kaoru_mitoma のお隣さんでした。当時の三笘選手とのエピソードを語って下さいました。#三笘薫#jfa #daihyo #SAMURAIBLUE #サッカー日本代表#つな超え #新しい景色を2022 pic.twitter.com/kZXaGiOK8N
— サッカー日本代表 🇯🇵 (@jfa_samuraiblue) November 15, 2022
なんだかほっこりしますね~。
嬉しそうな顔を見る限り、本当の親戚のような気持ちで応援していることが伝わってきました。
松重豊が明かす幼少期の三苫薫のエピソード
幼い頃の三苫薫選手はどんな子供だったのでしょうか…!
松重豊さんが明かす幼少期の三苫薫選手のエピソードは他にもありました。
うちに遊びに来てたのは、20年近く前です。薫くんが「お母さんがいないので、帰ってくるまで家に入れてください」と言ってきて、「いいよ」という感じでね。我が家のソファでゲームをやっていました。(引用:スポーツ報知)
両親は子供の三苫薫選手に鍵を持たせていなかったのでしょうね。
仕方がないからお隣さんを頼るあたり、しっかりした子供です。
彼の印象としては、地頭が良くてクレバー。小学生の頃から受け答えが堂々としていて、物おじしない。(引用:スポーツ報知)
当時、住んでいた川崎市のあの地域はサッカーが盛んでね。フロンターレのユースに入る子が多くて、中でも彼は有望でした。(引用:スポーツ報知)
当時、まだ幼い頃から三苫薫選手は将来有望だったんですね。
松重豊さんは2016年頃に、また三苫家もそれ以降に当時の実家マンションから別のところへ引っ越しました。(参照:スポーツ報知)
松重豊さんと三苫薫選手のご両親は現在も交流を続けているそうです。