小泉進次郎氏の学歴に再び注目が集まっています。
最終学歴はアメリカの名門コロンビア大学院であるものの、偏差値40のFランと言われる関東学院大学卒のため、
「なぜ入学できたんだ?」「学歴ロンダリングか?」「コネでは?」と言われるもの無理はありません。
その真相に迫った結果、父親の小泉純一郎氏が当時総理だったことが影響しており小泉進次郎氏の大学院入学はコネと結論付けるに至りました。
入学後1年間は英語学習に費やし、修士課程は実質1年間でした。入学&卒業できたのは本人の努力の他、特別な補助があったことが伺えます。
同じく総裁選立候補者の小林鷹之の実家や小林鷹之の娘についても調べています。
それでは早速見てみましょう!
Contents
小泉進次郎の大学院はコネ!Fランから入学し1年で卒業は超特別待遇
小泉進次郎氏のコロンビア大学院入学&卒業はコネであるという結論に至りました。
プラス、先に申し添えると、留学中の本人の努力は凄まじいものでした。
関東学院大学の偏差値は40のFランク
まず、なぜコロンビア大学院に入学できたんだ?という疑問が生まれるのは、小泉進次郎氏が卒業した関東学院大学の偏差値は37.5~40.0だからといえるでしょう。(参照:スタディサプリ進路)
ほとんど不合格者がでない偏差値35未満の大学のことを判定不能=ボーダーフリー(BF)=Fランク(略)と呼びますが、関東学院大学がそれに近い水準のためFランクと言われているようです。(参照:中高一貫校教育総合サイト)
といっても大学偏差値とは変動するものです。
過去には関東学院大学はFランクと言えない偏差値だったというOBの声もありました。
1990年代の関東学院大学文学部の偏差値は57~59だった
ちなみに小泉進次郎氏が卒業した当時の関東学院大学経済学部経営学科の偏差値は49でした。(参照:デイリー新潮)
コロンビア大学は世界大学ランキング9位
一方のコロンビア大学は、2024年・世界大学ランキング9位の超!一流大学です。
世界大学ランキングとは、アラブ首長国連邦にある世界大学ランキングセンター(CWUR)が発表する世界学術ランキングで、
1位は13年連続でアメリカのハーバード大学、日本の大学は東京大学が13位、次いで京都大学が26位です。(参照:教育業界ニュース)
これらの世界ランキングを知ると9位のコロンビア大学がいかに名門と言われるかが分かります。
小泉進次郎はそもそもなぜ関東学院大学に進学した?
将来、総理大臣を目指した学生時代の小泉進次郎氏は、なぜFランクと言われる関東学院大学にそもそも進学し卒業したのでしょうか。
実は次男である小泉進次郎氏が政治家になるとは本人も周りも当時は思っていませんでした。
小泉進次郎氏は、小学校から大学まで云わばエスカレーター式で関東学院大学まで進学しました。
学校名 | 卒業年度 |
小学校: 関東学院六浦小学校 | 1991年 |
中学校: 関東学院六浦中学校 | 1994年 |
高校: 関東学院六浦高等学校 | 1997年 |
大学: 関東学院大学経済学部 | 2004年 |
大学院: コロンビア大学国際公共政策大学院 (SIPA) | 2006年 |
(参照:Wikipedia)
大学在学中に政治家を志した
小泉進次郎氏が政治家をハッキリと志したのは関東学院大学在学中の20歳の時です。
それは父親の小泉純一郎氏が日本の首相になったことが大きく影響しました。
当時の小泉純一郎フィーバーはすごかったです。『カリスマ』という言葉が流行ったのはここからだったと記憶しています。
小泉家は純一郎氏で3代目となる政治家一家で、4代目には長男の小泉孝太郎氏がなるものだと周りは期待していました。
しかし、父親は無理に政治家になるように推し進めることはせず、兄の小泉孝太郎氏は俳優の道へ。(参照:日刊スポーツ)
父から「政治家になれ」と言われたことは僕も弟の進次郎(衆議院議員)も一度もありません。
むしろ「政治家にはなるな」と言われていました。あんなに苦しい仕事はないぞ、と。
それでも子どものころは「将来は政治家になるのかな」という漠然とした思いはありました。
家に後援会の方や支援者が常に出入りして「坊ちゃん、坊ちゃん」と言われますから。(引用:朝日新聞)
そして小泉進次郎氏は兄の代わりに政治家を志すようになりました。自発的にです。
小泉進次郎氏は本当は子供の頃から政治家に興味はあったものの、周りから兄とどっちがなるの?という目で見られるのが嫌で興味がない振りをしていました。(参照:日経新聞)
父親から
「将来どうしたいんだ?」
と聞かれ、
「できることなら跡を継ぎたい」
と答えた20歳の進次郎氏。
「そうか。じゃあ勉強しないとな」
という返事が返ってきたそうです。(参照:日経新聞)
コロンビア大学院へ進学できた背景
政治家として、選挙で勝つ為には学歴に箔をつけるべきだと考えたのか否かは分かりませんが、アメリカの名門コロンビア大学へ小泉進次郎氏が進学する準備が進められました。
なぜ小泉進次郎氏は名門コロンビア大学大学院に進学できたのでしょうか。
当時の様子について、国際関係学研究所所長の天川由記子氏が、関東学院大学文学部の当時の教授から受けた相談内容について明かしていました。
「コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授の下で政治学を学び、父の跡を継ぎたい」(引用:デイリー新潮)
と総理の息子(小泉進次郎氏)言っており推薦状を頼まれたが、コロンビア大学に行くには圧倒的に成績が足りておらず、どうしたらいいものか。(参照:デイリー新潮)
多くの要職者の協力を得ていた
小泉進次郎氏のコロンビア大学院への入学に向けて多くの要職者の協力を得ていました。
小泉進次郎氏の専門は経済学なので、
経済学部の教授 ⇒ 文学部の教授 ⇒ 国際関係学研究所所長
という流れで関東学院大学の教授や所長が動いてくれたのではないだろうかと推察しています。
国際関係学研究所所長の天川由記子氏は当時、官房長官のアメリカ外交担当非常勤アシスタントとして毎日ホワイトハウスに連絡を取っていたため、
米国ブッシュ政権下で国家安全保障会議(NSC)の上級アジア部長兼大統領特別補佐官という要職にあったマイケル・グリーン氏に電話をしました。
そして、後にNSCアジア部長となるビクター・チャ氏を紹介されたといいます。(参照:デイリー新潮)
チャ氏はコロンビア大学出身で、カーティス教授とも親しく、
「小論文や推薦状で彼が政治家になることを強調するように」(引用:デイリー新潮)
と助言されました。
国際関係学研究所所長 ⇒ NSC上級アジア部長兼大統領特別補佐官 ⇒ コロンビア大学カーティス教授と親しい後のNSCアジア部長
ターゲットとなるコロンビア大学のカーティス教授に事前に連絡が入っていた可能性もあります。
改めてコネとは
小泉進次郎氏のコロンビア大学院への進学はコネの力が働いたと言えます。
ここで改めて「コネ」について明確にしておくと、
「コネ」とは“コネクション”の略ですが、親族や友人などの個人的なつながりを利用して特定の目的を達成することを指し、大学進学や就職活動などで使われることが多いです。
“運も実力のうち”という言葉がありますが、“コネも実力のうち”と言えるのかもしれません。
コロンビア大学院に入学&卒業できたのはコネの力
小泉進次郎氏がコロンビア大学院へ2004年に入学し、無事に2年間で卒業できたのもコネの力が働いていました。
まず入学時の英語テストTOEFLスコアが基準の600点未満だったにもかかわらず、条件付き合格となりました。(参照:デイリー新潮)
※とはいえPBTペーパー版の満点は677点なので基準が高い
この条件とは、スコアが600点に達するまで大学内の語学講座で英語を学ぶというもので、小泉進次郎氏は大学内で約1年間英語力向上に努め、2005年9月に修士課程を開始しました。
実質約1年間の修士課程だったと言えます。
このような柔軟な対応は、コロンビア大学のようなトップ校では稀であり、小泉進次郎氏の場合は例外的な好待遇でした。(参照:デイリー新潮)
一般的な志願者には与えられない超特別待遇を得て、小泉進次郎氏は名門コロンビア大学院での学位取得に至ったと考えられます。
この点においては、小泉進次郎氏の背景や人脈が影響していると言えるでしょう。
+本人の努力も凄まじかった
といっても小泉進次郎氏はコネだけでコロンビア大学を卒業できたわけではありません。
小泉進次郎氏の言葉をそのまま借りると、
米コロンビア大留学中は、脳みそから汗が出るほど勉強し、自分の可能性を試した(引用:日経新聞)
といいます。
このときのためにそれまで勉強しなかったんじゃないかというぐらい、猛勉強の日々。
朝起きたら朝食の前にまず勉強。そして自炊中も勉強できるように、作っていたのはカレーライスやチキンスープばかり。
本を読むのではなくて、本を食べるぐらいの勢いで勉強していました。(引用:日経新聞)
父親譲りといいますが、“進次郎構文”と言われるくらい表現がユニークですよね。
海外の大学の授業は、受け身でただ座っていれば良いだけの日本の大学の授業とは異なり、手を挙げて自分の意見を発言し、議論に加わらないと評価されません。
コロンビア大学はニューヨークにありますが、小泉進次郎氏にとってニューヨークとは、ブロードウェイや5番街といった華やかなものではなく、
思い出すだけで胸が苦しくなる街です。それだけ苦しい、自分の限界との闘いだった。(引用:日経新聞)
また恩師であるジェラルド・カーティス氏も
「彼は成績も良かったし、一生懸命、勉強した」(引用:President online 参考文献:中島岳志『自民党 価値とリスクのマトリクス』)
と小泉進次郎氏の努力について評価していました。
よって、小泉進次郎氏のコロンビア大学院への進学と卒業にはコネの力が働いていますが、
留学中の猛勉強の日々によって単位を取得できたのは本人の努力でした。
コロンビア大学/大学院の入学基準
ここからは、一般的なコロンビア大学/大学院への入学基準について見てみましょう。
日本とアメリカの大学進学システムの違い
コロンビア大学に限らずアメリカの大学/大学院への進学と、日本の大学への進学システムは異なります。
アメリカの大学/大学院に出願する際に基本的に求められることをまとめました。
- 学業成績:高校・大学時代の成績が非常に重要。
- 標準テストスコア:SAT、ACT(学部の場合)、GRE、GMAT(大学院の場合)などが高得点であること。
- 推薦状:複数の教授や職場の上司からの強力な推薦状が必要。
- エッセイ(入学志願書):志願者の意欲や個性を示すための重要な要素。
- 課外活動: 課外活動やボランティア活動、リーダーシップ経験も評価される。
- 面接:基本的に行われる。
日本のように一度限りの大学入試の成績ではなく、過去の数年間の成績を見られます。
※SATとはアメリカのCollege Boardという教育機関が運営している大学受験のための統一試験(引用:edubal.net)
推薦状は、説得力があり、将来性が感じられることが重要です。
これらが総合的に評価され、合格者が選ばれます。
小泉進次郎氏もこの手順は踏んでいると思われます。
著名人のコロンビア大学進学事例:バラク・オバマや宇多田ヒカル
コロンビア大学は名門校というだけではなく、政界の著名人も多く進学し、音楽カリキュラムの充実といった特徴もあります。
黒人系初のアメリカ大統領バラク・オバマ氏もコロンビア大学の卒業生です。
そして日本の歌姫・宇多田ヒカルさんもコロンビア大学に在籍していた時期がありました(音楽活動と両立できずに中退)。
宇多田ヒカルさんの自宅はニューヨークにありましたので、通いやすいという点もあったかもしれませんが、自身の音楽の才能を更に開花させるためにコロンビア大学に進学した可能性もあります。
またアメリカの大学のシステムの特徴は、頑張る学生をとことん応援するところであり、日本でアーティストとして既に目覚ましい活躍をしていた宇多田ヒカルさんのような学生を積極的に歓迎することも考えられます。(参照:jweeklyusa.com)
コロンビア大学にとってバラク・オバマ氏、宇多田ヒカルさん、そして小泉新次郎氏に共通することは、多様性と、飛躍的な活躍をするであろう将来性だといえるかもしれません。
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