俳優・菅田将暉さんの弟でアーティストのこっちのけんとさん。2024年の大躍進は目を見張るものがありましたね!
そんな大人気のこっちのけんとさんですが、実は病気を抱えながら音楽活動を行っていたことをご存じですか?
2023年9月29日に自身のSNSで、双極性障害(躁うつ病)の診断を受けたことを明かしています。
音楽活動への影響について調査した結果、本人はむしろ病気に伴う悪い経験が良い曲を作る事に役立ったと考えていることが分かりました。
気分の浮き沈みといった病気の症状に翻弄されながらも、「はいよろこんで」の楽曲制作へ昇華し、大ヒットしました。
それでは一緒に見てみましょう!
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こっちのけんとの病気は双極性障害/躁うつ病!
こっちのけんとさんの病気は双極性障害(躁うつ病)です。
こっちのけんとが病気を公表(2023年9月)
2023年9月29日、こっちのけんとさんは自身のSNSで双極性障害(躁うつ病)の診断を受けたことを公表しました。
人と関わるのが怖くなってしまい、大きな動きができなくなって早1ヶ月が経ちました。
双極性障害(躁鬱)とのことでした。
何が何だか分からない毎日を過ごしていますが、何が何だか幸せではあります。
多くのアーティストが隠しがちな精神疾患との闘いを、こっちのけんとさんは音楽という形で昇華することを選びました。
まずは自分の病気を受け入れてから、公表したことは、大きな決断が必要だったろうと思います。
双極性障害(躁うつ病)とは
双極性障害(躁うつ病)とは、気分が高揚する「躁状態」と、気分が落ち込む「うつ状態」を繰り返す精神疾患です。
1つ目の「上がり過ぎ」の時期は、異常なほど元気いっぱいになり、ほとんど眠らなくても平気で、次々と新しいことを思いつき、時には自分が特別な存在だと思い込むこともあります。
2つ目の「下がり過ぎ」の時期は、気持ちが沈んで、何もする気が起きず、日常生活を送るのも困難になります。
つまり、心の振り子が極端に振れ、通常の気分の波をはるかに超えた変動を経験する病気といえます。
そのため双極性と呼ばれているのですね。
触れ幅の期間はというと、躁状態は数日~1週間以上、うつ状態は2週間以上続くといいます。(参照:国立精神・神経医療研究センター)
病気の公表後に制作した“はいよろこんで” は140億回再生へ
こっちのけんとさんが病気を公表した後に制作した“はいよろこんで” は、SNSでなんと140億回再生を突破しています。
音楽活動への影響
こっちのけんとさんは病気によって、音楽活動にどのような影響を与えたのでしょうか。
2024年に大ヒットした「はいよろこんで」は、双極性障害をテーマにしており、こっちのけんとさん自身の経験を反映した楽曲です。
この曲は、病気と闘う中で生まれたもので、特に印象的なのは、身近な人へSOSを発信することが大切だというメッセージです。
こっちのけんと「テンションが高すぎたり、低すぎたりっていうのが、結構上下する病気なんです。(中略)だから常に、“ちょっとテンション高いよ”とか、“今低いよ”みたいなのを、簡単な状態でもいいからSOSとして身近な人に言っておこうっていうのを癖づけるために作った曲ですね。」(引用:日テレNEWS)
双極性障害(躁うつ病)の症状である、気分の激しい波に翻弄される中で、誰かに助けを求めることの大切さを歌に込めました。
病気を公表した後のファンの反応
こっちのけんとさんが双極性障害の病気を公表した後、SNSでは多くの温かい反応と、同じ病気を抱える人々からの共感のコメントが多数寄せられました。
私もけんとさんと同じ状態になりました。周りから色んな励ましや蔑みや嘆きや…何やかんや言われましたが、全て響きませんでした。アイスを1口食べるのがやっとの日々が続きました。(X@ysmeg27)
私も、学生時代にこちけんくんと似たような経験をしたことがあります。 こちけんくんのペースに合わせて、無理は絶対せずに!応援しています(X @1s9u9d3a)
私は、昔からパニック障害と強迫性障害で、過呼吸になったり、狭い場所が怖く飛行機や特急電車が乗れなかったり、過呼吸になったり、引きこもりになったり、自分が嫌になる事が多いで毎日ですが、けんとさんの歌を聞いて励まされています♫(X@eigahanakonew)
うちの父も躁鬱(今はほぼ快復)なので、なにか相談に乗れることがあればいつでも言ってね。(X@ask03sb)
こっちのけんとさんの音楽に励まされているファンは多く、また逆にこっちのけんとさんも「自分だけじゃない」と感じることができたのではないでしょうか。
今後の展望
こっちのけんとさんは、双極性障害(躁鬱病)という病気と闘い続けながら、音楽活動を続ける意欲を示しています。
こっちのけんとさんは、
「良い曲を作るためには悪い経験が必要」
と語り、今後も自身の経験を基にした楽曲を制作していくでしょう。